写真で近況

2024年6月20日(木)

さて梅雨入りも間近という6月後半。暑い最中に墓地ぼち散歩行ってまいりました。

今日は日暮里。谷中霊園です。

が!しかーし!

谷中霊園は、明治7年に谷中天王寺の敷地等を東京府が引き継ぎ開設されたため 天王寺墓所、寛永寺墓所、谷中霊園が入り組んでいる。そもそもの天王寺には幸田露伴の五重塔のモデルとなる五重塔も建立されていたのだから、その広さに驚く。

 

ではまずは日暮里駅南口からわずか2分? 天王寺へ

天王寺はあまりみかけない樹木があったので紹介 美しい寺内をあとに、むかいにある天王寺墓所へ

NHK朝ドラの時期は訪れた人も多かったであろう

牧野富太郎(まきのとみたろう)の墓所

日本を代表する植物学者ですね。奥様(すえこさん)の墓もお隣に。

墓石の裏には牧野博士の功績が記されていますよ。

 

千人塚

東京大学のお医者様の塚?と思いきや・・・

東京大学医学部に献体された人たちを慰霊しようと建てられ、中央が、明治3年から13年9月までに、向かって左が明治13年9月から21年9月まで、向かって右が明治21年9月から37年8月までに献体された人たちのお墓です。 東京大学医学部は毎年、解剖体慰霊祭を行い、遺族や医学部関係職員、初めて解剖実習に臨んだ医学科の学生が参列しているそうです。 おそらく病死した方々の献体と思われるが、明治の頃は解剖後の遺体を家族に返すことはなかったのだろうなぁ。一基1000人の骨が収められているそうだ。

※使われている漢字の意味は調査不足です。すみません。変わった漢字ですよね。

 

市川團蔵(6代7代8代)(いちかわだんぞう)の墓

歌舞伎の世界のことはよくわからないが、養子縁組などで名をついでいくことも多いようだ。6代目は5代目の未亡人の養子となり7代目は、二代目市川九蔵の養子となった人で、8代目は、7代目の次男ということらしい。歌舞伎役者は襲名していくので、活躍の内容がファンでないとわからないなぁ。

三遊亭 圓遊(さんゆうてい えんゆう)の墓所

落語家で初代とされている圓遊は本来は3代目だそうだ。この3代目圓遊が着物の裾をまくってのステテコ踊りで大人気となり初代ということで定着してしまったらしい。

五重塔跡

墓所の一画に開けた場所がある。その場所にはかつて幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった塔が立っていたらしい。三度の火事消失でもう再建はしないのだろう。3度目の火事は焼身心中が原因だったようだ。なんとももったいない話である。が、あの幸田露伴の五重塔がもし残っていたのであれば、登場人物がその場にいるような感覚が味わえたのだろうか???

 

次は谷中霊園へ

とても入り組んでるんですけどね、どこが天王寺で寛永寺で谷中霊園なのかさっぱりですけども・・・

 

長谷川一夫(はせがわかずお)の墓所

日本映画界を代表する二枚目の時代劇スター。私の母曰く、美しい顔の役者さんだそうだ。その美しいお顔を切られる事件があったようで、お年を召した頃の写真をみると確かに傷が残ってますね。

役者の大事な顔を傷つけられるなんて・・・ひどい話です。

高橋お傳(たかはしおでん)の碑

明治の毒婦と呼ばれたが、実際は毒婦ではなく、殺人行為は相手に非があったとされている。だが、殺人を犯したわけなので恐ろしい女性ではある。そして、先ほどの千人塚ではないが、死刑にされたあとの遺体は解剖献体にされたらしい。墓所は小塚原回向院にある。で、その碑が谷中霊園にあるのはなぜなのか?面白い記事を見つけたので興味のある人はどうぞ

https://bunshun.jp/articles/-/65776?page=6

 

 

さささ、次は寛永寺墓所へ

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の墓所

説明はいらないだろう。江戸時代の終焉。徳川15代将軍であるが、ここに墓地があるのは一般人だから?

慶喜は神道式の埋葬を希望していたため丸い墳墓であるが、寛永寺霊園に神道式があるのも不思議な感じである。ちょっと確認できなかったが、奥方だけでなく側室の墓もあるようだ。写真で確認したらなんと

慶喜公の後ろにありました・・・むかって右に新村信子と左に中根幸のようです。

森繁久彌(もりしげひさや)の墓所

日本の俳優。私の中では「屋根の上のヴァイオリン弾き」が900回公演というニュースが記憶に残っている。現在は市村正親さんが引き継いでいるのかな・・・

 

谷中霊園に戻りまーす!!

渋沢栄一(しぶさわえいいち)の墓所

日本の実業家で、日本企業の土台となるようなおおきな会社に多くかかわった人であります。現在の経済の礎を築いた人物。徳川慶喜に仕えていたのに、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになったのは、何の因果なのでしょうね。

 

渋沢家のお墓、すごーく広いです。そして、渋沢栄一の墓は、主君であった徳川慶喜の墓の方向を向いている

らしいですよ。目の前には、澁澤家墓所より伝統的な「立曳き」で移植されたタブノキがあります。

まもなく新一万円札の顔になる人ですものね。ここにこれてよかったです。

 

横山大観(よこやまたいかん)の墓所

日本の画家。横山大観といえばやはり富士山でしょうか。富士山の絵の天才ともいわれ日本画水墨画の巨匠ですね。でもお墓はいたって普通な感じで、でも形が長方形ではないですね。もちろん墓の横には大観の功績を記した碑もありました。

 

これにて墓地巡りは終り

このあとは珍しい建築物を見に行きました。

 

 

観音寺の築地塀

江戸時代の築造で土と瓦を交互に積み重ね造られています。今もなお有形文化財として残されているので、塀をみながら道をあるくとちょっとタイムスリップした気分になれますよ。また谷中には古い建物も少し残っていて古き時代の情緒を感じます。

 

谷中銀座を見下ろせる夕焼けだんだん

この階段からは美しい夕焼けを眺めることができるそうです。お昼でしたのでそれはできませんでしたが、

 

名前は一般公募によって命名されたそうです。

 

※※参考になる地図※※

ランチは日暮里駅近くの「マルヤス酒場・日暮里店」

ランチは中華メニューでした。24時間営業なんですって。お値段もリーズナブル・・・席料がかかるのは24時間居酒屋だからかな。

 

谷中霊園にも外国の方が来てました。誰のお墓に来ていたのかな・・・町にも外国の方がたくさんいましたよ。インバウンドでにぎわっているのですね。

 

これで4月5月6月の回がおわりました。

 

7月8月9月は散歩もお休みとなるので、次は秋10月ですね。楽しみにしましょう!

 

おまけ・・・

 

竹隆庵岡埜(ちくりゅうあんおかの)

http://www.chikuryuan-okano.com/

 

こごめ大福 ヨモギが売り切れてましたが白の方2個お土産に買いました。すごくすごくおいしかったです。(^^♪


 

 

 

2024年5月16日(木)

本日の墓地ぼち散歩は私用にてお休み致しましたので、送っていただいた写真を見ながら妄想散歩を書いてみたいと思います。

金沢八景駅から

海を(平潟プロムナード)みながら野島公園内の伊藤博文金沢別邸を目指します。

シーサイドラインに乗って野島公園駅から海の公園柴口駅へ

金沢文庫(称名寺)を巡ります。

 

この日の午前中の天気は薄曇り・・・まだ青空が見えないけど

風さわやかで、京急・シーサイドライン金沢八景駅から夕照橋に至る平潟湾沿いに造られた南国風の遊歩道。とても気持ちよく歩く。

野島公園内にある伊藤博文金沢別邸は、3棟で構成されたおり調査資料をもとに解体復元された部分と新たに新築復元された部分に別れているそうです。明治時代の建築で海浜別荘ということで、茅葺寄棟屋根の田舎風建築だそうです。東京湾の目の前にこのような広い別荘。様々なお客様が訪れたのでしょう。

歴史を感じながら見学

 

博文邸館内360°ビューで観たい方は、こちらから

 

写真は↓

現在は、横浜市指定有形文化財となっているので海風にあたりながらフラッと散歩してみるといいかも

 

さて、本日のランチは町中華の予定と伺っておりましたが・・・・

空想ランチするなら・・・・うーん・・・このあとまだあるくわけだし、

ビールは控えてあんかけ焼きそば的なのが食べたいかな ( ´∀` )

 

さていよいよ金沢文庫(称名寺)へ

金沢県立金沢文庫

鎌倉時代の武家文化を伝える称名寺の文化財を中心に収蔵されている。

北条実時が金沢郷(現在の横浜市金沢区)に設けた文庫で、武家の文庫としては日本最古と言われる。

美術品、古書、古文書、郷土資料、考古資料など、鎌倉時代の人々の暮らしを知る貴重な史料がいっぱい!

コレクションのなかには「徒然草」の作者兼好法師関連の資料を多く収蔵。一説に金沢北条ゆかりの人物とも言われている。

蔵書印は書物の所蔵を明らかにするためのもので、金沢文庫の蔵書印は日本国の文庫印の中で最も古いものとされている。

 

さて、この金沢文庫は北条実時(ほうじょうさねとき)が、武蔵国六浦むつら荘金沢村の別荘内に建てた文庫だが幕府滅亡後に称名寺が経営にあたったが衰退した。現在は神奈川県立金沢文庫として再建。

よってこの称名寺には北条実時の墓がひっそり?とある。

 

称名寺や金沢文庫の裏山(道なきみちのような・・・)にあり、釈迦堂脇の階段を上ると墓所がある。(この日階段を上ったかは定かではないが・・・)

にしても称名寺は美しいところだ。

今回は実際に行けなくて残念ではありましたが、こうして妄想散歩を記録してみるとすでに行った気になっております。

 

次回は日暮里のようです。楽しみです。また6月に!!!

 

 

 


2024年4月18日(木)

本日の墓地ぼち散歩は・・・

市ヶ谷駅から

靖国神社

 遊就館 (1000円・障碍者手帳をみせると本人とつきそい2名まで無料)

 桜の標準木

千鳥ヶ淵戦没者墓苑

千鳥ヶ淵

九段下から神保町へ

ランチ:ビヤホールレストラン「ランチョン」

純喫茶「さぼうる

 

靖国神社は市ヶ谷駅から坂を下り、南門より入りました。

拝殿で参拝をして、

桜のおみくじを300円で買いましたらば

大吉でございました。

 

靖国神社の成り立ちについては、公式サイトで読んでくださいね。

それを読みますと・・・・

祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られている。靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にある。246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通している。ということだそうです。

戦争で亡くなられた方々を想うと、不思議と「国」とは一体何だろうと考えました。それは後程・・・

2024年の今年はほんとにニュースなどで何度も何度もとりあげられた東京の桜の標本木がありました。今年は開花が遅くて、桜の季節がずいぶん遅くなりましたが、「あぁ、これがテレビでもよくみた桜の木かぁ」と、ずいぶん身近に感じました。もちろん桜は葉桜に・・・しかしながら、八重桜はまだまだ見られましたよ。八重はまぁるく固まって花がついているのでなんだかかわいらしいです。

靖国神社はほんとに広大で、その一角に遊就館があります。

ここは戦争の歴史を知る場所?って感じでした。戦争に関する収蔵品が展示されています。もちろん出兵した方の家族へあてた手紙なども。多くのが外国の方々が見学に来ていました。靖国神社を外国の人も訪れるんだなぁ・・・と少しだけ違和感を感じました。

 

遊就館の中は写真撮影禁止ですが、入り口ロビーには戦闘機や大砲が展示されていました。

この靖国に眠る英霊は、みな「国」という家族の安寧を守るために戦いました。それはとてもよく理解できました。しかしながら、やはり「国」ってなんだろう?と思ってしまうのです。結局戦いをしているのは国の一部の権力者や軍人で、その他の国民は望んでいたのでしょうか?江戸幕府から明治政府へそして大正、昭和(戦前戦中)の「国」は民のものではなく権力者のものではなかったか・・・今この令和の時代に生きているからこそ、過去の歴史を深く知り今を考えることが大事なんだと思えましたし、「死んではいけない」「生きて考えろ」と強く思った靖国神社でした。

拝殿本殿まで伸びるまっすぐで遠い道(参道)

ここは、千鳥ヶ淵戦没者墓苑

千鳥ヶ淵のボート乗り場のすぐ目の前です。

靖国神社と違い無宗教のため公人が訪れます。

国外で亡くなられた戦没者で身元不明の方々が眠っている墓地です。靖国神社に来た折には、ぜひ忘れずにここを訪れるとよいのではないでしょうか。いまだに毎年増えていく不明戦没者。やはり戦争はダメなことです!

 

公式サイト

桜はもう見られませんが、千鳥ヶ淵。

皇居の北西側にあるお堀です。お天気も曇りで空が青くないのでなんだかどんよりしてますが、美しい 形をしています。

千鳥ヶ淵をあとにして、九段下あたり。

高燈篭のある場所は、北の丸公園に入っていけます。武道館や科学技術館、国立近代美術館、国立公文書館などもあります。(今回はこの公園あるいてませんけどね)

 

地図

九段下からさらに歩き、神保町へ。ビヤホールランチョンにてランチをしました。ビヤホールなので、コーヒーは飲めませんよ。そういうお店です(笑)ランチは日替わりランチ1200円(魚フライとチキンソテー)とビール。ランチビール(330ml)480円で朝日黒生をいただきました。昭和な感じのボリューム感満点のランチでした。ごちそうさま。

今日の散歩はここまで。

先生が「純喫茶さぼうる」まで案内してくれて、神保町でとても有名なレトロ喫茶。半地下の席へ・・・七色のクリームソーダ?壁の落書き。すごく個性的でなんか学生とかの落書きかな。青春を感じる喫茶店でした。ブレンドコーヒーをいただいて、帰路につきました。

神保町に立ち並ぶ古書店はものすごく興味があるのですが、絶版書物とか探したいものができたらまた出向いてみようかな。昭和の書物やもっと昔の書物に触れるのもいいかも。

 

次回は金沢文庫でーす。あまり暑くなりませんように (^^;

おまけ・・・

遊就館で買ったお土産です。


2024年3月21日(木)

本日の墓地ぼち散歩は・・・

東西線門前仲町駅から深川です!

1万歩以上歩きました。(*^^)v

 ・深川えんま堂(法乗院)

 ・小津安二郎生誕の地

 ・採荼庵跡

 ・間宮林蔵の墓

 ・紀伊国屋文左衛門の墓

 ・松平定信公の墓

 ・深川江戸資料館(400円)

 ・ランチ 深川釜匠

 ・清澄庭園(資料館の半券を持っていくと120円)

まずは、深川えんま堂(法乗院)でえんま様にありがたいお言葉をいただきました。

ぼけ封じにお賽銭をいれて・・・

次は、小津安二郎の生誕地。

映画監督で、多くの映画監督に影響を与えたとても有名な監督。

残念ながら映画を観たことがないのだが、これを機に観てみようかな。子供にはたいくつだけれど、家族映画で日常生活の細かな感情描写をするのが特徴で低いアングルでの画面の捉え方も独特らしい。

多くのエキストラを使ったりストーリー性などを重視する黒澤監督とは全く真逆の監督さん?なのでしょう。

歩く場所は見どころが多い。

途中、採荼庵(さいとあん)跡に寄る。ここは松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出る前、住居としていた芭蕉庵を手放し、しばらく過ごした場所で、ここから旅立っていったようです。

途中、滝澤馬琴の生誕地もあったようですが、そこは残念ながら寄らず、コーヒーがおいしいと評判のBLUE BOTTLE COFFEEのお店を横目に・・・間宮林蔵(まみやりんぞう)のお墓へ!

間宮林蔵は、江戸時代後期の探検家で、農民の子として生まれましたが、算術の才があり、伊能忠敬に測量学を学んだそうです。またアイヌ女性との間に子をもうけ、子孫は今も北海道におられるそうです。

 

1808年には幕府の命令で松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検しました。この探検で樺太が島であることを確認したことにより、シーボルトはこの功績を紹介し、間宮海峡(マミアノセト)と命名、後世に残りました。文武両道で、お庭番も務めたようです。晩年は隠密行動も不可能になったとか・・・。

 

道々、先生の余談で・・・共同墓地のような場所へ。戦時中に空襲によって多くのお寺が焼けてお墓も焼け壊れ、戦後寺の土地が縮小されたりもありで、檀家さんのお墓を周りのお寺と協力して集約してできた共同墓地が多くありました。寺の中の墓地ではなく、墓地だけなのですがこの通りは〇〇院の墓そちらの通りは△△院の墓など、各寺の墓地が集まった場所があったのが不思議な感じでした。そんな墓地集合地を通り過ぎながら、向かったのが、紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)の墓です。

紀伊国屋文左衛門は、江戸時代の商人で、元禄期の豪商です。生没年などが不詳のため伝説の人物ともいわれますが、実在はしていたようです。

紀州(和歌山県)から江戸に紀州みかんを海上輸送して大きな利益を得たといわれています。八丁堀に広大な邸を構え、奈良屋茂左衛門勝豊との吉原における豪遊の逸話があるようですが、豪商も没落したらしいです。没落についてもいろいろ説があるようなので、ほんとに伝説の人物といってもいいかもしれないですね。

 

さて!!

小芝風花さんが主演を務める『大奥』にSnow Manのメンバー宮舘涼太さんが松平定信役で出演しています。まさに旬

 

ということで、松平定信のお墓。霊厳寺へ

 

 

 

松平定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中です。そして「寛政の改革」といえば・・・江戸幕府の財政を立て直したことで知られていますね。

また、余談ですが、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、松平定信をあつく敬愛していたらしいですよ。

なので、寛政の改革は江戸時代以降も明治時代なども日本の指針になっているようです。

お墓巡りはここまでで、このあとは深川江戸資料館に向かいました。江戸の終わりに近い天保年間の深川の一画、深川の人々が暮らす家々が実物大で立ち並んでいます。まさに江戸の庶民の生活を垣間見ることができますよ。野菜を売る店、米屋、船宿、船着き場、長屋、火の見櫓、町木戸(夜になると閉じられた門)井戸

タイムスリップ!!!

横綱大鵬のコーナーもありました。

本日のランチは、深川めし! アサリのごはんです。

この地域には深川めしを出すお店が多くあり、深川めしマップが出ているくらいです。門前仲町・清澄白河あたりで、17店舗ほどあるそうなので、お気に入りの店舗をみつけるのもよいですね。

本日は深川釜匠。食べきれないときはラップがテーブルに用意されているので、おにぎりにして持って帰れますよ。私もおにぎりにして持ち帰りました。そのくらいボリューム満点です。

そしてそして貝のお出汁が染みておいしい。あさりもふっくら!最高!!!

ランチの後は、清澄庭園へ

空は青く、池の周りを歩きながら気持ちよい散歩を楽しめました。

清澄庭園は、もうほんと・・・どこにでも出てくる三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎が明治時代に整備した回遊式林泉庭園で、野鳥が遊ぶ「大泉水」の周りには、全国から取り寄せた名石や築山が配されています。

ということで、今回は深川でしたが、まだまだ見どころがたくさんありまして、江東区は観光地ですね。

少しずつ回って楽しみたい場所になりました。

次回は靖国神社だそうです。初めていくので、楽しみです。


お知らせから致しますよ。

「ぼち墓地いこか」体験できますよ。

3月26日(火)午前9時集合

東京多磨霊園・正門(府中市多磨町4-628)

※20名 約3時間の実施

参加費は2000円

申込は・・・

FAX:042-345-4684

もしくは

Mail:nippa@jcom.home.ne.jp

主催責任者:小池和徳(こいけかずのり)

詳しくは下記の用紙確認を!!!参加お待ちしています。

 


2024年2月15日(木)

冬なのに気温19℃という中、今回は東中野駅下車高徳寺と、牛込柳町駅から徒歩10分弱の草間彌生美術館へ行ってきました。

 

高徳寺

新井白石のお墓があるが、このお寺とは縁が深いらしいです。

 

白石は、延宝三年(1675)から同七年までと、元禄四年(1691)から同六年の2回、この寺の居候(寄食)であったらしいです。このあと新井家のお墓もたくさん出てきますよ。

新井家のお墓です。

右も左も新井家の墓その通路をまっすぐ歩いていくと、新井白石のお墓が向かって右側になります。高徳寺で居候(寄食)するほど貧乏な時代もあったのですね。そのころは勉学にはげんでいたようです。

新井白石(名:君美、通称:勘解由、白石:号)江戸中期の儒学者・政治家。

新井家の墓の真横に磯村春子(NHK朝のテレビ小説「はね駒」の主役もモデル:斉藤由貴が演じた)津田梅子に師事し、記者となる。

東洋大学学長・社会学者であった磯村英一(磯村春子の長男)が寄贈した墓碑があり、

「荒波の寄せてくだくる 岩の上に 独りほほえむ 濱菊清しも 春子」と刻まれている。

次は、柳家三亀松(やなぎやみきまつ)大正・昭和の漫談家。

常に三味線を片手に舞台にたっている写真が多い。レコードもたくさん出しているようですよ。都都逸漫談がYoTubeでも聴けるみたいです。https://www.youtube.com/watch?v=BhcDnMJuG6A

 

こちらは、日本の美容界のパイオニア山野愛子のお墓。

 

大正時代に美容院を開業し、以来70年間にわたり美容師の育成と社会的地位の向上に貢献した。いったいどのくらいの美容師を育成したのだろう・・・。

あとで思い出したのだが、お笑いコンビ・品川庄司の品川祐のおばあ様にあたるのではなかったか・・・・調べたらそうでした。

 

ここ高徳寺でのラストは・・・長門裕之・南田洋子夫妻の墓及び、沢村國太郎・マキノ智子の墓でもあります。沢村國太郎・マキノ智子は、長門裕之、津川雅彦の父母です。若女形として舞台を務め、映画にも出演。戦後も脇役で活躍したが脳卒中で倒れ寝たきりに・・・この時長きにわたりお世話をしたのが、俳優、長門裕之に嫁いだ女優、南田洋子だそうだ。長門裕之は、数多くの浮名を流したようだが、南田洋子はこれを公認していたとか・・・。おしどり夫婦といわれるが本当のところは?  しかし、南田洋子がアルツハイマーになると、長門裕之が自宅で介護。それって愛ある罪滅ぼし?やはりおしどり夫婦なのかな。私の中のイメージはテレビ番組ミュージックフェアの司会をされていたなぁという記憶。15年も夫婦で担当したんですって。

先生の資料を読み返したら・・・なんと!!南田洋子には婚約者(長谷川一夫の長男)がいたのに、婚約を破棄して長門裕之と結婚したそうです。なんだろう長門さんによる略奪婚?なかなかドラマチックですね。

さて、本日のランチは東中野駅近辺でお店を探して・・・・

開店前に並んで入ったお店です。人気店のようで外に出たら人が待ってました。私はめんたいこしめじのパスタ。玉ねぎスライスにレモンがついていて、これがとても合うんです!!!のりもたっぷりふりかかってました。ランチはサービスで食前にコーヒー(ホットorアイス)がつきました。とてもお得。他にもおいしそうなメニューがずらり。1130円也。

 

スパゲティハウス モーゼ

 

https://www.instagram.com/moses.1973_official/

 

さぁ!本日もう一つのお楽しみ「草間彌生美術館」へ

五階建ての建物で、はいるとすぐに赤いに黒の水玉オブジェが出迎えてくれる。あぁ草間流だぁ!って感じなのですが、2階はちょっと違う。初期の作品は色も落ち着いていてどこか幻想的で、もちろん彼女の見えている世界はこうなんだな・・・・という絵ばかりであるが、現在の作品とは色合いがまるで違う。さらに奇妙な指のような銀色一色のオブジェがある。指が何本も生えてそこにお玉らしき調理器具。不思議な世界だ。

3階にはあぁ草間流だぁという作品が並んでいる。愛とか死とか一生とか宇宙とか自殺未遂なんてのもある。これだけ点々というか水玉というかバリエーションすごいなぁ。風景も人間の顔も模様もいろんなものが映りこむ世界・・・うーん。私にも私だけの世界があるような気がしてきちゃう!!!

そして4階は、映え体験してきましたよ。部屋に入ったら・・・・・もうこれは写真でわかるのか?ぜひ体験すべきですね。

5階のオブジェは、花でした。実に草間流です。原色使い最高!!そして屋根がオープンなのでまさに空の下です。

途中2階にあるトイレのドアを開けると・・・・なんと鏡が赤水玉に!!写真見てね。

写真はないけれど、エレベーターも赤水玉の鏡張りでした!

2階3階は写真撮影不可でした。

 

共感とかいう世界ではなく、草間彌生の見えてる世界ってすごいな!という楽しい美術館でした。お土産にハンカチとステッカーを買いました。

 

草間彌生美術館

https://yayoikusamamuseum.jp/home/

本日のおまけ

前回はお誕生日プレゼントを頂いたのですが、今回はお仲間の一人から全員にバレンタインチョコをいただきました。

かわいい入れ物だし、食べおわたっら何いれようかなぁ・・・

もらいっぱなしの私・・・ありがとうございます。


2024年1月18日(木)

今年いっぱつめの墓地ぼち散歩は、私にとって2回目の訪問。雑司ヶ谷霊園です。前回はネコの気分で書いたブログ。今回も挑戦してみたいと思います。

吾輩は猫である。名前はまだない。ことはないが、知らぬでもよいニャン。

雑司ヶ谷霊園には著名人がのお墓がたくさんあるニャン。木々も多くて日向ぼっこするのもいいニャン。

 

さて、都電荒川線雑司ヶ谷駅を降りてすぐ目の前に霊園はあるニャン。

大川橋蔵のお墓の案内表示のところを入るとすぐに大きなお墓。東京裁判で死刑となった東条英機のお墓ニャン。

りっぱなお墓だけども、遺骨は入っていないニャン。A級戦犯7人の遺骨は太平洋上に散骨されたということニャン。

先生が2021年の7月の東京新聞の内容を資料としてつけてくれたニャン。

次は、永井荷風のお墓ニャン。普通のお墓だけども、荷風はもともと「墓を建てるなら「浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。石の高さ五尺を超ゆべからず、名は荷風散人墓の五字を以て足れりとすべし」と『断腸亭日乗』に綴った」が、

雑司ヶ谷の普通のお墓に入ってますニャン。荷風を感じたいなら、南千住浄閑寺本堂裏の洒落た筆塚「永井荷風文学碑」を見に行くといいニャン。タレントの高見恭子さんが荷風と親戚筋であったことを先生が教えてくれたニャン。

荷風の書いた日記・・・ちょっと興味あるニャーン。

次は大川橋蔵。もちろん有名なのは「銭形平次」。時代劇で活躍した俳優さんニャン。でも55歳という若さで亡くなっているニャン。銭形平治の収録も入退院を繰り返しながら行われたということだニャン。

<こちらの写真は前回撮ったもの>

今日は、泉鏡花のお墓を探したが見当たらず前回はあったのに・・・・墓じまいしたのかな。移転が決まったようですが・・・どちらに移されたのでしょう?墓石に刻まれていたのは、鏡花泉鏡太郎墓

愛知 揆一は、日本の大蔵官僚、政治家でテレビにもでていたそうニャン。画像検索したけど記憶にないお顔だったニャン。

次はギリシャ生まれの英国人小泉八雲ニャン。作家で日本研究家。

 

Wikiより・・・

1904年の著作『Japan-An Attempt at Interpretation』は、太平洋戦争中、アメリカ合衆国の対日本心理戦に重要な役割を果たしたとされる。当時のアメリカ軍准将であり、ダグラス・マッカーサーの軍事書記官・心理戦のチーフであったボナー・フェラーズは、当時のアメリカ合衆国が利用できる、日本人の心理を理解するための最高の本であったと述べたという。

 

複雑な気分ニャンそういう書が参考にされていたなんて・・・

 

次は、サトウハチロー 童謡といえば・・・だニャン。小さい秋みつけた・うれしいひなまつり。びっくりするのが、全国50以上の小中学校の校歌を作詞していることニャン。兄妹佐藤愛子の「血脈」を読んだ散歩仲間が、サトウハチローがいかに変わり者?だったか読むとわかるといってたニャン。逸話の多い人らしい。童謡や校歌を書いた人とは違う人格とか・・?

墓に刻まれた詩は、「ふたりでみるとすべてのものは美しくみえる」

次は荻野吟子美しい姿像が立ってたニャン。この方は、日本で最初の公認女性医師で、婦人解放運動の活動もし、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献したニャン。こういう女性がいて、現代の女性の活躍があるんだニャン。

 

次はいずみたく 作曲家。吾輩のイメージはニャン「太陽が暮れた季節」かニャー。テレビドラマの「飛び出せ青春」の主題歌。あとは、中村雅俊の「青春貴族」いちばんだいじなものは何、決まっているさ友達さ~ よく覚えてるニャン。

 

次は竹久夢二の墓。「竹久夢二を埋む」とあるので、ここに納骨されているニャン。画家としてあまりにも有名ニャン。この方が描く女性は素敵だニャン。

 

次は夏目漱石。吾輩の漱石だニャン。とにかく椅子の形をしたかっこいい墓だニャン。漱石の執筆活動はわずか10年。短い間で築いた文豪の地位だニャン。すごい人だニャン。

あとは、川口浩・ジョン万次郎・東郷青児・金田一京介・江戸屋猫八などの墓をまわったニャン。

 

前回来たときから気になっていた古川ロッパのお墓・・・相変わらずなうえ一層ひどくなっているような・・・・枯れすすき?葦原?なぜきれいにしないのか・・・疑問ニャン。先生曰く、この枯れ具合がいいのかもしれないよ・・・と。なるほどニャン。ロッパらしいと感じるひともいるかも。

 

雑司ヶ谷霊園では吾輩のようなネコがおったニャン。気持ちよさそうだニャン・・・ウトウト…

いざ早稲田へ!!

村上春樹ライブラリー。世界で発売された村上春樹の本がてにとることができる。好きな人は一日中いられるのではないかニャン。ここには村上作品の装丁をもっとも多く手掛けたイラストレーター、安西水丸の作品もみることができるニャン。會津八一記念博物館で、八一コレクションと、富岡重憲コレクションも観てきたニャン。早稲田キャンパスは他にも見どころがあって、また別の機会に早稲田大学をうろついてみたいニャン。

 

ランチは学生さんたちが午後の講義が始まるころに席があいた高田牧舎へ

みんなで4種類のピザと1種類のパスタを注文して取り分けて食べたニャン。もうお腹いっぱいで眠たいニャーン・・・

 

今年最初の詣では、穴八幡宮だったニャン。残念ながら節分すぎないと、御朱印は再開しないらしい。残念だニャン。

今日は誕生日でもある吾輩に、プレゼントをくれた仲間が・・・うれし!はずかし!ありがとうですニャン♡ 佳き日でありましたニャン。

(名前入りUSBメモリー)

 

来月の散歩は東中野