写真で近況

2021年12月16日(木) 所沢へ

 

本日の墓地ぼち散歩は、所沢西武球場前駅からのスタートです。

ちなみに待ち合わせ場所が西武球場前駅なので、ちょっとした旅気分

国分寺~多摩湖 多摩湖~西武球場駅という行き方を選択したのですが

いやー。もうローカル線のなんともいえない癒し感と昭和感と

申しましょうか。もう気分的に和んでしまいました。

 

まずは、狭山湖畔霊園

駅からのアップダウン、いやアップアップアップと

とにかく坂道を登り続けました。途中で足を休ませました。

青空 青空 青空!!!

 

すぐにあらわれたのが、尾崎豊のお墓 お花でいっぱいで、

いまだに人気の高さを感じます。

ニュースで聞いた衝撃的な死に様。

ほんとうにびっくりしましたが

26歳で亡くなるなんて、もったいないですね。

今ならイケメンというのでしょうか。美人薄命といいますが、

美男も薄命なのかも・・・なんて話をしました。

絵本作家、いわさきちひろのお墓

とても素敵な絵のモチーフがありました。

写真を観ると、とてもかわいらしい方ですが、

最初のご主人を自殺で亡くし

大変な時期を過ごしたのでしょう。

二度目の結婚相手、

松本善明(弁護士・日本共産党政治家)さんも

2019年に亡くなっておられたようです。

 

漫画家 滝田ゆうのお墓

漫画家・田河水泡の弟子にして

長谷川町子に続く3番目のお弟子さんとのこと

残念ながら漫画は知らないので申し訳ないのですが。

お墓がおにぎりの形をしていて

下駄の絵が彫ってありました。

ものすごく個性的なお墓でした。

 

ちなみに、この狭山湖畔霊園には有名人でなくても

とても個性的なお墓があります。

知らない方のお墓でも

そのデザインに驚くばかりでした。

 

お墓を巡った後は

狭山不動尊へ。

ここは埼玉西武ライオンズが毎年必勝祈願を行う寺だそうです。

境内には文化財が多くあります。

これらは

ユネスコ村(テーマパーク、閉園)へ移築され、

ユネスコ村の敷地の一部が現在の狭山不動尊となっているそうです。

さて、本日の楽しみランチ忘年会

所沢駅 百味(ひゃくみ)プロぺ店へ

地下に広がる老舗の大衆居酒屋で、

めちゃめちゃ雰囲気在ります。

吉田類さんも訪れたということで、

これは素敵なお店だろうと・・・・

ほんとに安くてうまくて大満足でした。

年内最後ということで、みんなでおしゃべりしながら

お酒とつまみを存分に楽しめました。

ほんとに2年ぶりのお先の席でした。

外はまだ昼なのに(笑)

写真は食べた残骸です。<(_ _)>

締めの茶そばも最高でした。

 

おまけというのか・・・・

東村山で下車。

志村けんの銅像と一緒に写真を撮ってきました。

おみやげにだいじょうぶだぁ饅頭を買いました。

 

来年はコロナで休むことなく散歩に出かけられるといいな。

歩くのはちょっと辛いときもあるけど、

わくわくする楽しい時間を続けていきたいと思います。

皆さま、どうぞ良いお年をおむかえください。


2021年11月18日(木)両国へ

 

2週続けての墓地ぼち散歩は、両国です。

墓地めぐりというより博物館資料館など盛りだくさんでした。

東京の街をよくわかっていない私にとっては観るもの全てが新鮮です。

そんな機会があることに感謝感謝

 

両国駅西口からスタート。

早速、力士のお出迎え!!!さすが相撲の町です。

両国駅と観光センター、駅だけでも外国の方などはワンダフル!!といいそうですよ。

◆旧安田庭園

 

常陸国笠間藩主だった本庄宗資(ほんじょうむねすけ)が造ったと伝えられ、明治維新後は旧備前岡山藩主・池田侯から安田財閥の祖・安田善次郎へと所有者が変わった。

東京スカイツリーが庭園の木々からみえるのがなんともいい感じでした。無料で入れる庭園なので、庶民の憩いの場にもなっているようですね。

このお隣には刀剣博物館もあるようです。

◆横網町公園(よこあみちょうこうえん)

東京都慰霊堂

東京都復興記念館

 

ここは少し気持ちが落ち込むというか、

悲しい気持ちと、この時代に生きていなくて

よかったという安堵が・・・

関東大震災 東京大空襲・・・そして復興へ

 

原爆資料館で悲劇を知ったことと同じように

衝撃を受けました。

東京は2度も焼け野原になっているんですね。

 

 

◆ちょっと寄り道

墨田区には、勝海舟生誕地、芥川龍之介生育の地、舟橋聖一生誕の地などがあります。

(こちらは立ち寄れました。)

今日は寄りませんでしたが、葛飾北斎生誕の地や小林一茶旧居跡などもあるようなので、

また機会があればぜひ足を運んでみたいです。

 

◆吉良邸跡

忠臣蔵の舞台となった吉良邸跡に行ってきました。

残るものは何もなく、そこにはマンションなどが立ち並ぶ景観に。

ですが、吉良邸はほんとに広くて

赤穂浪士が彼を探すのに苦労した意味がわかります。本所松坂町公園には吉良上野介像や、屋敷の広さや、みしるし洗い井戸(首を洗った)吉良家の亡くなった家臣などの碑があります。

◆回向院

ここにはなんと!!!

鼠小僧次郎吉のお墓があります。

墓石を欠いていくため今では欠くための専用の石があり、

お守り袋を購入してそこにその石砂をいれてご利益を賜るようです。

「するりと入る」ということで、合格祈願にもよいようです。

しかしながら身寄りなしの次郎吉さんのお墓はだれが建立したのか

家に帰って調べてみると、どうやら歌舞伎の関係者が建立したらしく、おもしろおかしく演じられた鼠小僧次郎吉。歌舞伎で有名になったこともあるのでしょうか。

 

また、力塚という大日本相撲協会が建立した碑もあり、初代中村勘三郎・竹本義太夫(浄瑠璃)(周辺には太夫の墓碑も多くある)・加藤千蔭(歌人、国学者)・平田禿木(英文学者)・植草甚一(評論家、エッセイスト)のお墓もあり、盛りだくさんです。

回向院では動物も供養できるようで、ペットだった子たちのお塔婆がたくさんありました。

阿弥陀様はとても近代的な建物のなか、薄暗い光の中に鎮座しとても穏やかでした。

◆ランチは

ちゃんこダイニング「安美」へ。

もうお腹いっぱい食べました。ちゃんこの味付けは選べるのですが、基本的に最初よりあとに

なるほど味が増し増しになる感じでした。

このあとは自由行動でありましたが、全員で江戸東京博物館へ行ってきました。

私はこの地がはじめてなので、もちろんこの場所も初めてです。江戸~昭和の移り変わりがわかるということで、とても素晴らしい空間でした。ジオラマをみていると焼けてしまう前の銀座の街がなんともおしゃれ。

ビルばかりでないあのおしゃれな街並みが現在に残っていたら素敵だなと思いました。

鹿鳴館が上からガラス張りでのぞき込めるようになっていましたが、焼けたとおもっていた鹿鳴館は取り壊されたのだと知り、びっくりでした。

 

ですが、無知な私はこの日の一番の驚き

散歩仲間のNさんが教えてくれたのですが、越後屋さんのジオラマを観ていた時に

Nさんが教えてくれました。江戸時代の豪商越後屋とは三井家のことであると。呉服屋は三越となり、

両替商は銀行へとなっていきます。越後屋さんて、なんとなくドラマ的には悪役と絡んだりする商人というイメージですが、ほんとうに豪商だったんですね。

両国の駅から散策できる場所は多くてとても一日では回り切れません。

また機会があればチャレンジ墨田区!!です。

次は12月。 2021年ラスト墓地ぼち散歩です。たのしみ~

 

 

 


2021年11月11日(木)新宿へ

 

秋の墓地ぼち散歩シーズン開幕!!

今回の散歩は大都会 東京 新宿です。

東京オペラシティアートギャラリーで開催されている和田誠展からスタートです。

新国立劇場のある東京オペラシティ、とてもおしゃれな場所でした。はじめて入りました。

初台に10時半集合

和田誠展は11時開催でしたので、少し待ちました。

開場時間にはすでに人が並び始めており、人気の高さもわかりました。

検温と消毒をすませチケット購入(¥1200)

中に入りますと、和田誠の世界が!!

ここ2年ほどイラストなど描いている私にとっては、勉強になりましたし、

なによりもその数がすごい。

週刊文春の表紙を飾ったいらすとだけでも、見ていてつかれるほどの数

ほんとにすごいイラストレーターというか作家さんです。

ここに写真を載せたいですが、著作権の問題もあるかと思いますので、

ぜひ興味のあるかたは、その目で見てきてください。

懐かしい絵にも出会えると思います。

さて、ここですでにお昼。ということで

57階にある「北海道」というお店にランチに向かいました。

毎度のことながら、

注文の品はみなばらばらでした。

私は豚丼をいただきました。

 

まだこのあとまわる場所が残っているのですが・・・

とりあえず!!! ビールも皆さんで! かんぱーい。

 

皆さんのお食事もこちら↓ ↓ ↓

本日の墓地は、

菅野すが・・・婦人革命家で、幸徳事件(明治天皇暗殺の計画)で

       処刑された唯一の女性 享年31歳だそうです。

 

お墓には獄中で読んだ句が刻まれていました。

「くろがねの窓にさしいる日の影の 移るを守り今日も暮らしぬ」

 

今回の散歩ではじめて知ったのは、「社会主義運動」という中に

無政府主義者という運動家がたくさんいたことを知りました。

明治から大正という時代は日本の歴史の中でもほんとうに革新的というか、個々がその国に様々な期待をしていたことがわかりました。

 

             渋谷区代々木 柴山 正春寺. しょうしゅんじ

 

※少し話はずれますが、

 本日の帰り道、瀬戸内寂聴さんが亡くなられた

 ニュースをネットで読みました。

 この瀬戸内寂聴さんが書いた「遠い声」こそが、

 フィクション・菅野すが だそうです。

 この小説で、すがのイメージができてしまったかもと

 先生も話していましたが、これあくまでもフィクションだからねと

 おっしゃられていたので、いったいどんな小説なのか少し興味が

 わきました。

 偶然とは恐ろしい。まさか瀬戸内寂聴さんが亡くなられたニュースが

 流れた日にそんな話になるなんて。

 

本日は高い場所が続きます。

東京都庁展望台へ

検温 消毒 持ち物検査をして

いざ展望台へ

 

今流行りの ストリートピアノが

なんと展望台で繰り広げられていました。

 

皆さんたちどまって聞き入っていました。

 

さすがに展望台からの東京を眼下にすると

なんとごちゃごちゃした都市なのだろうと

思えます。

 

そして、ラストは

新宿住友ビル33階にある

平和祈念展示資料館へ。

 

東京にもこんな場所があったとは

驚きでした。

 

おもにシベリア抑留者や海外引揚者の資料が展示されています。

 

戦争の罪は、戦争が終わってからも

人間が生きることへの尊厳を踏みにじるような

環境が続いたということも忘れてはいけないと

あらためて思いました。

 

90歳の母に話すと、資料や写真など

見たくないと言っていました。

知っている人は辛く

知らない私たちは知るべきことなのだと

気が付かされました。

 

 

 

さて、本日の散歩はここまでですが・・・・

このあと女性4人でお茶して帰りました。おいしかったよー。

(グラスにミルクが見えるけど、抹茶やほうじ茶をあわせてまぜるとできあがりのラテです)

新宿住友ビル1階西広場にある「京都 茶寮翠泉 新宿店」にて。↓ ↓ ↓

 

来週も、墓地ぼち散歩に出かけます。

次は両国に行ってまいります。

 

 


秋です!墓地ぼち散歩です!!

2021年10月21日(木)小田原へ

 

久々の墓地ぼち散歩です。

コロナ禍でなかなか思うように行けなかった2年弱

ちょうど季節もいい時期になり、待ちに待ったという感じです。

 

本日は小田原

まずは小田原城城主であった北条家のお墓

駅から近く、周りは飲み屋さんが多かったりして、

さらにお寺や墓地にあるわけではなくポツンとそこに現れた

という感じでした。

少し寂しいですね。植木の手入れ中でしたので、写真はこんな感じに

なってしまいましたが・・・・

 

次は高長寺へ

こちらには北村透谷のお墓があります。

正直どんなイメージも私にはないのですが、どうもこの方は

婚約者があった女性を別れさせて妻にするという

なんとも明治の人とは思えない情熱といえば聞こえは良いのですが

その後27歳の若さで命を絶つという

妻を不幸にしたのでは?と疑うくらいのひとりよがりな浪漫文学者という

感想をもちました。

古地図をみると城内を思わせるまっすぐではない道を、進むと・・・

小田原城へ

立派な天守閣が現れました。

510円で天守閣へ。小田原城の歴史が城内をまわると詳しくわかります。

北条家5代にわたる歴史や戦国に生きたその末路や

また、天守閣からあの一夜城跡もみることができますが、もちろん

木々に覆われておりました。

最後は二宮金次郎の報徳二宮神社へ

居ましたよ。金次郎さん

これらのブロンズ像は戦時中に没収されたようです。

現存するたった一体の金次郎さんのブロンズ像だそうです。

ランチに向かう途中、薄皮アンパンでの柳家ベーカリーに寄りましたが、全種売り切れ。

ショックでした。

午前中で売り切れるほどの人気なんですね。

 

40分待てば次が出るようでしたが、

あきらめてランチへ

建物が大正時代に作り直された唐破風入母屋造りの

歴史を感じるお店 だるまへ

だるま といえば 天丼ということで

みなさんとおいしい一杯のビールと

甘めのたれの天丼をいただきました。

帰りの小田原駅までの道のり、お土産をたくさん買いました。

たくさん歩いたわけではないけれど、とても充実した散歩でした。

 

次回は都会に戻るらしいです。

 

先生が教えてくれましたが小田原駅の案内所には数多くのパンフレットがあり

散策路や観光場所も多いのでいろいろもらってくるといいよ。

ということで、いくつかの散策路のパンフもってかえりましたー

11月は2週続けての墓地ぼち散歩!  盛りだくさんな報告になりそうです。


2か月ぶりの墓地ぼち散歩です!!

2021年6月24日(木)鎌倉へ

 

6月・・・・緊急事態宣言解除を待っての墓地ぼち散歩再開です。

暑い暑い一日になりましたが、なんとか歩くことができました。

鎌倉小町通りは平日なのに人でいっぱいですが、観光地にやってくる人出とは少し

違う感じです。

 

さて、先生に連れられていざ鎌倉 安養院へ

 

安養院(黒澤明・北条政子)

鎌倉駅から安養院へ。先生なしではたどり着けない

お墓が安養院のお墓です。

 

安養院のほうは黒澤明氏のお墓のあとで!!

 

安養院を通り過ぎ細い道を入っていくと古民家や

民家などを横目でみながら進みますとひっそりと管理されていない???墓地がありました。

黒澤明監督のお墓の悲しい出来事

 

黒澤監督といえば!!日本映画だけでなく

世界の映画監督に少なからず影響を与えた素晴らし監督であることは、なんとなく知っているが

観た映画はBS放送などで「七人の侍」くらいである。話はおもしろく映像は美しくなくリアル。そこがすごく嘘っぽくなくてよいのです。

 

おっと、お墓の話題に!!!

実は、突風でも吹いたのか?

お塔婆をたてる石台が足から折れて

後ろに倒れていました。

 

いつ倒れたのかわかりませんが、関係者の方

早く修復をお願いしたいです。

 

私たちが触るわけにもいかず

悲しい気持ちでお墓をあとにしました。

そして、こちらが

安養院にある北条政子の墓と伝えられているものです。

もちろん北条政子の墓は他にもあります。

後で出てきます。

安養院というのは、北条政子の法号だそうです。

鎌倉最古の厄除け神社 八雲神社

ちょっと寄り道

鎌倉最古の厄除け神社だそうです。

ここで御朱印を書いていただきました。

 

4基の神輿渡御が並んでいて、もちろん外から拝見

とても立派な大きな神輿でした。

今年はこういったお祭りは開かれるのでしょうか?

 

祇園山ハイキングコースというのがあり、

八雲神社裏手にある御嶽三峰社横から裏山を上がれば、東勝寺跡までのハイキングコースだそうですよ。

先生が早速たずねておられました。

次の目的地、寿福寺に行く途中は、

様々な鎌倉のお店に立ち寄りました。

その中で有名なのが鎌倉野菜を売っている

鎌倉市農協連卸売所です。

近くに住んでいたら、通っちゃうかもしれない

鎌倉でとれたおいしい野菜が並んでましたよ。

紫色の水菜が食べてみたいなと思いましたが、買っていくのは

断念しました。

他にも、とてもおおきな古い洋館みたいな服地屋さんとか

モンブランスタンドも見つけましたよ。

 

小さな雑貨屋さんも多くてほんとに近くにすんでいたら

散策しながらお気に入りのお店もたくさん見つかりそうです。

 

寿福寺の美しい参道

寿福寺に到着。

総門からまっすぐ伸びる参道の景色は

美しいですよ。ちょっと京都に来たみたいな

気分になります。あれ?ここは鎌倉でした。

 

大佛次郎(おさらぎじろう)の墓

 

鞍馬天狗を書いた作家さんです。

残念ながらこの長編小説を私は読んだことがありません。

また時代劇ドラマとしての鞍馬天狗も観たことがないのですが、当時の子供のヒーローだったのではないかと推察されます。

 

帰って母に尋ねると

鞍馬天狗を演じたのは、嵐寛寿郎さんだそうです。

 

高浜虚子のお墓

 

明治から昭和にかけて活躍した俳人で、正岡子規の弟子で、子規が亡くなった後は、雑誌「ホトトギス」の発行を引継ぎ、尽力したそうです。

 

俳句をされる方は、句をたくさんしっておられることでしょう。

 

なななんと、この寿福寺には

虚子の娘で俳人の星野立子さんのお墓も

ありました。

 

北条政子と源実朝が眠る墓???

 

地元の小学生?が北条政子のお墓を探しに来ていましたよ。

社会学習かしら・・・・

 

この寿福寺のお墓は古いものは

岩盤を手彫りした穴におさめられているようで、たくさんの

穴が掘られていました。

 

その一つが北条政子と源実朝のお墓のようですが、

現在は静岡に・・・・との案内板も。

 

北条政子は頼朝と墓を並べてたりしなかった?

どうしてかしらね。なんて話も仲間内で話しました。


お久しぶりの墓地ぼち散歩です!!

2021年4月15日(木)長谷寺(ちょうこくじ)へ

ほんとに久しぶりです。

ですが、4月12日にまん延防止が発令されたばかり・・・。中止かとも思いましたが、なんとか行くことができました。

スタートは原宿駅

まずは9時開店の 東京三大豆大福の店

「瑞穂」へ。私は買わなかったのですが、ひとつひとつ小袋にはいって上品そうな感じでした。

朝から少し並んでましたよ。売り切れ次第閉店なんですって。

さてさて、渋谷区から、港区へ

先生が大通りから一つも二つも入った道を歩くので、もうどこを歩いているのか!!

とにかく気が付いたら根津美術館まで来てました。

今回はここは通過です。(残念)

 

ちょっと余談ですが、

表参道に似つかわしくないような古い建造物というか石灯篭がありました。

先生が教えてくれましたが、太平洋戦争時の空襲で焼け残ったものだそうです。

上の部分はわかりませんが土台部分には焼け跡など残っているようです。おしゃれな街の中にも痛ましい歴史が埋もれているんですね。

いよいよ本日のメイン

永平寺別院でもある補陀山 長谷寺。

ここでまず目にしたのが木彫りの11面観音さま。

美しい!!

この長谷寺で眠っておられる有名な方々は数多くてびっくりました。

このあとはお墓の写真がメインですので順を記しておきます。

 

榎本健一(俳優・コメディアン・歌手)

坂本九(歌手・タレント)

井上馨(政治家・実業家)

阿久悠(作詞家・小説家)

黒田清綱(官僚) 黒田清輝(洋画家)

盛田昭夫(ソニー社長)

日影城児(俳優:沖雅也)

中村白陽(ロシア文学者:罪と罰翻訳)

岡鹿之助(洋画家)

 

写真はないのですが、このほかに江副浩正(リクルート社長)、花井お梅(芸妓・妖婦)のお墓も行きました。お梅については知識もなかったのですが、殺人を犯した女性で、後にこれを題材に舞台・芝居・歌などができたそうです。「明治一代女」の歌碑もたっていました。

 

沖雅也さんについては、当時、衝撃的なニュースとして記憶に残っています。

日影氏と養子縁組で日影家のお墓に眠っておられますが、このお墓を探すの大変でした。黒のお墓なので文字が見えず、みんなで探しました。

綺麗なお花が添えられ、ファンの方々が訪れるのでしょうか?

ですが残念なことに、管理費が収められていないのか?連絡がとれないようであれば立ち退きの札が立っていました。現在は管理する方も不明なのでしょう・・・・残念なことです。いつまでここにお墓があるかわかりません。今日行けてよかった。

本日のランチ

広尾の「麻布食堂」

もうその響きだけでおしゃれな感じですね。

皆さんとマスク会食?というのかな

距離をたもちマスクをしても会話

食事は静かに・・・・

洋食屋さんなので、私はハヤシライスをいただきました。

オムライス・メンチ・カニコロッケ・ハンバーグと皆さんそれぞれのランチスタイルで

おっと!!その前に生ビールも1杯いただきました。

 

と、いうことで本日の散歩は無事に交通機関以外の人混みを回避しつつ

楽しむことができました。久々の外出で足がパンパンです!!

5月は鎌倉へ。なんとか行けますように。

 

 

 


2021年2月6日(土)

2度目の緊急事態宣言で、墓地ぼち散歩も延期となりました。

 

3月まで散歩もいけないかなぁ・・・・。

 

手作りマスク

今回は今年5月で90歳になる

母が作ってくれるマスクを紹介。

20枚近く作ってくれました。

手作りマスクです。

 

鼻にあたる場所には平らな針金といのでしょうか?ちゃんとはいっています。

形は2種類。不織布マスクを参考に作ってくれました。

去年の春からずっと。夏場は裏をガーゼにしてくれたりして

二枚重ねなのですよ。

 

この緊急事態宣言下での外出時は不織布を下にして二枚重ねにします。

ちょっと息苦しいですけどね。

 

陰性であるうちは常に不安が付きまとうわけで、コロナ陽性となれば命にもかかわるわけですから、早くワクチン接種が始まるとよいですね。

 

 

 

 


2020年12月17日(木)墓地ぼち散歩

九品仏~等々力渓谷~野毛大塚古墳

 

本日の散歩は世田谷区。

そうです。都会に行ってきました。

九品仏(くほんぶつ)と読みます。ちょっと変わった駅名ですね。

なぜかといえば、九品仏の駅を降りるとすぐに浄真寺があり、ここには

9体の阿弥陀如来が座しておられます。

9体の大仏だから九品仏。なるほど

われら一行は浄真寺の山門をくぐり閻魔さまにご対面!

お賽銭を納めると、ありがたいお言葉がもらえるのでぜひ行った際には閻魔堂に立ち寄るとよいですよ。

そして、下品堂 上品堂 中品堂を回り、それぞれに座す阿弥陀如来像を拝顔しました。

このそれぞれの像の意味や上中下に分かれている意味などは

興味のある人は観無量寿経を調べてみるとよいです。

※現在 1体は修繕中だそうです。本日拝顔したのは8体でした。

このあと、浄真寺本堂にて御朱印をいただきましたが、12月だし! 大仏修復の寄付もかねて金色の御朱印を2種いただきました。

ついでにおみくじをひくと女子4名は

私は、またも招き猫、Mさんは恵比寿さん、Nさんは亀、Uさんが小槌と、それぞれ違ったお守りがでました。お財布にいれておこう!

 

この浄真寺はこの時期、おそらく11月下旬から12月中旬にかけて、素晴らしい紅葉のお庭を拝見できると思います。

 

もみじとイチョウの紅葉はちょっと京都っぽいですよ。コロナ禍でなければ、ぜひ来年は紅葉を観に!!

 

 

このあとはいよいよ都会の渓谷 等々力へ!!こんな場所に渓谷があるなんて、世田谷なのに?

この辺にお住まいの方は夏は涼しい散歩が楽しめそうですね。

等々力渓谷では、古墳時代の横穴墓も6基発見されていて、この地に

古くから歴史が刻まれていたことを知ることができます。

 

そのまま等々力不動尊のまるで清水の舞台のような見晴らし台から等々力渓谷を

見下ろし、野毛大塚古墳へとむかいます。

こんな都会にまたまた不思議なものが・・・・それが古墳です。

この古墳の主は、東京、川崎、横浜の一部を治めてた大首長ではないかと

考えられているそうです。

 

古墳の上に登れますので、実際に出土された副葬品などの場所もわかるように

なっていました。

 

過去の浪漫ですね。

本日の墓地ぼち散歩はここまで。

終わりは、ランチ

本日のランチは、ピッツェリアマルデナポリ上野毛店

先生はいつも、おいしい、おしゃれ、特別感のあるお店を紹介してくれます。

今日は、おしゃれでおいしいお店でした。

ヴェスビオランチ 1700円(税別)を注文・・・のまえにお決まりのビールで

2020年お疲れ様でした。

このランチで最後にでてきたケーキがまたよかった!!

5種類でましたので、ほしいケーキを指さしてかぶったらジャンケンで決める。

とうことで、何をそれぞれが食べたかは別として、全6種のデザートをおまけにごらんあれ!! めちゃめちゃおしゃれ!!ですよね。ごちそうさまでした。

 

では、また2021年にお会い致しましょう。

皆さま、よいお年を。

 

 

 

 


2020年11月19日(木)

墓地ぼち散歩~駒込~巣鴨~

 

 

本日の墓地ぼち散歩は、わたくし腰を「ギクッ!」とやらかしてしまい

おうちでお留守番です。

先生と仲間はもちろんこの日一日で18000歩以上歩いたようです。

 

仲間が送ってくれた写真をもとに私も今から想像の世界で歩いてみましょう。

 

集合場所は駒込駅

今日はここからのスタートですね。

Google Mapでは約10分ですね。

旧古河庭園

私も一度だけ行ったことがあります。

秋ではなく夏でしたね。だから秋のバラも見たかったなぁ。

おしゃれですね。こんな扉のある邸宅。なんて素敵でしょう。

たしかくるりんと邸宅を回り込むとバラ園が広がっていて、邸宅が映えるという

事実。邸宅はおしゃれなわけですが、この階段からみる景色は抜群でしょうね。

うーーーー。みたかった!!!

 

わおーっ!

咲いてます。咲いてます。ピンクも黄色も 香が届くようです。

スーッ・・・・スーッ・・・

日本庭園も紅葉が進んでいるようですね。

もみじ?でしょうか。

赤いですね。

庭園は池や灯篭、大滝なども回ったようです。

ここだけでもずいぶん歩いているのでは?

もうお腹すきそうだけど・・・・・

さらに一行は六義園へと。

 

六義園

紅葉はもう少し?という感じなのでしょうか・・・美しいですね。

行きたかったなぁ。外国の方もきっと東京に遊びに来たらこの六義園はまさに日本庭園のなんたるかを見知ることのできる場所でしょうね。日本の雅な季節を和歌の世界からこの庭へ映し出す。日本人が誇ることのできる世界観がある気がします。

ここです!!東洋文庫ミュージアム

ここ!! 行きたかった。いつでも行けるのにこういうところって後回しになるんですよね。アジアの歴史資料ならここに行くと良い。という・・・

ミュージアム内のこの蔵書たちは

もうなんか写真でみるだけでも心がソワソワしちゃいますね。

古い書物というのは、なにか読めるか読めないかわかりませんが、ドキドキします。

ここは閲覧室もあるようなので、ぜひ開いて読めなくても読んでみたかったな。いつか必ず行くぞーーー!! ちなみに国会図書館は行きました。そして京都漫画ミュージアムも行ってみたいですが、専門書ってわからなくてもその古さと印刷の複雑さやそんなところにひかれてしまいます。

で、このあと興味津々のランチは・・・・

マリーアントワネットのランチが気になって気になって!!

東洋文庫ミュージアムのオリエント・カフェ

なんか本みたいのが縦に置かれてる。これアントワネットの愛読書を模した弁当箱?だそうですよ。本日の中身は?なななんと!! ローストビーフ。ひゃー おいしそう。

実際、柔らかくておいしかったそうです。

 

一休みのあとは巣鴨商店街へと一行は向かったようですね。

 

そして!!今頃思ったのです。

とげぬき地蔵尊御影を買ってきてもらえばよかったと・・・・

もしや腰に貼ったら治っちゃう?

なんてことをおもいながら、最近は年輩者だけでなく若者にも人気あるとか

聞きましたが。

 

最後にこんな写真がありましたので、還暦のお祝いのときにはぜひ

巣鴨に行ってみようかな。(笑)

巣鴨駅で解散だったようですが

さすがに仲間の足はパンパン

本日、11月としては異例の暑さであったこともあり、お疲れになったようです。

 

ぜひ12月は参加して、愉快な一行の墓地ぼち散歩を楽しみたいと思います。みなさん、お疲れ様でした。

写真提供もありがとうございます。ゆっくりお休みなさい。


2020年10月15日(木)

墓地ぼち散歩~目黒~

 

なんとお久しぶりでしょう。

ようやく散歩が再開しました。4月~6月はコロナ禍で中止になっておりましたが、

ほんとにようやくです。もちろんコロナ前とは散歩環境にも変化はありますが

先生も仲間の皆さんも皆元気に過ごしておりました。

実は、一か月前に先生の提案で高尾山にウォーミングアップということで行ってまいりました。おデブの私にはきつい道のりでしたが、なんとか頑張れました。

さて、今回は目黒

目黒駅から芸能プロのホリプロを右手に雅叙園を左手に下りながら目黒不動尊を目指しました。

目黒は坂道が多いのですね。

目黒通りから細い道へ入ると

目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)の裏手から入る道へと続きます。

民家の間に通る階段を上ると

龍泉寺の飛び地である墓地がみえました。

 

 

 

 

目黒不動尊の裏手にあったのは、

青木昆陽(あおき こんよう 甘藷先生かんしょせんせい)の墓所でした。

サツマイモの普及をした人で、先生曰く、この人物がサツマイモを普及しなければ、戦中戦後のの日本人は生きていけなかったのでは?というくらい

戦中もサツマイモでしのいできたということです。

イモは嫌い!という年輩者も多いですよね。

 

ですが、このサツマイモは今やデザートにもなるほど、進化していますものね。

甘藷先生に感謝。

裏手から入っていくと黒の大日如来が座しておられました。立派なお姿が裏手にあるのは少しもったいないですが、りりしいお姿でした。

本堂をくるりとまわって正面へ。本堂周りには甘藷先生の像やサツマイモが植わっていました。本堂に向かって左手に独鈷の滝がありましたが、現在コロナの影響で柄杓を手にすることが禁じられているようで、おさいせんと母の腰と足の痛みをとってほしいなぁ・・・と拝んできました。

恵比寿さんもいたので、おさいせんと商売繁盛をがんばるぞーーーー!と拝んできました。

さらにこんな碑も

大川周明氏の文による北一輝先生の顕彰碑。

北一輝 すごく芸能人ぽい名前だが、あの2・26事件で出てくる人物ですね。

ですが。私は大川周明氏を知らないでおりました。

あの東京裁判で戦犯だった人のようです。

この話のおまけは後で・・・

先ほどお話の続き、

訪れたのは北一輝と大川周明のお墓

なんと新しいどなたかのお墓が間にはありますが、向かい合っているのです。

大川周明氏は先生の話で、東京裁判のときに梅毒が脳に回り精神に難があったので裁判をのがれ生き残った人物だそうです。

あの裁判を受けなかった人物がいたとは知りませんでした。

東京裁判なるものがなぜ行われたのか・・・本来は私たち日本人は歴史をもっと勉強すべきだなと・・・あらためて思いました。

戦争の歴史はやはりしっておくべき大切な教訓ですよね。

 

お昼はおそば。

なぜか、アンパンマンの石像が迎えてくれる海老民というお蕎麦屋さんで天ぷらセット(1100円税込)をいただきました。揚げたての天ぷら 温かい蕎麦 おいしかったですよ。

 

食事の後に訪れたのが、天恩山五百羅漢寺。

まさか目黒で五百羅漢を拝めるとは・・・・。記憶にあるのは盛岡の金色の羅漢

目黒の羅漢は松雲元慶禅師によって彫られたということです。

何体あるのかわからないけど、松雲禅師は生涯530体以上の羅漢を彫ったそうですよ。

ここには羅漢堂のほかに資料館もあり、ぜひ行ってみるとよいかも・・・・

会いたいあなたの顔に会える?かも。

 

最後は大鳥神社。こには切支丹灯籠を観に行きました。江戸時代弾圧を受けたキリスト教徒が信仰のために作ったのでしょうか?

少ししらべてみるとこれを考案したのは古田織部?

千利休とのつながりもあり、茶の湯の席に使われたともいう石灯篭。キリシタンと茶の湯と石灯篭。ミステリーです!!

 

本日の散歩は終り。

ですが、先生に教えてもらった目黒五十番で

肉まん(でかい!)を買い、目黒通りを雨の中ぶらぶらと。

アンティークな家具やアクセサリー雑貨や食器など

素敵なお店がありました。

気になったのは古めの食器店。数が揃うのでいいなぁと・・・。機会があればまた覗いてみたいです。

 

 

以上、本日の墓地ぼち散歩でした。


 

 

 

 

 

 

 

2020年3月19日(木)

墓地ぼち散歩~大磯~

 

コロナウィルスで日本、いや世界が大変な状況のなか、散歩に出かけました。

今回は吉田茂邸・島崎藤村邸とそのお墓・澤田美喜記念館(休館中)・大磯港

ですが、公共の館内などは休館で見学はできませんでした。

それでもお天気はよく春の風は気持ちよく暑いくらいの日でしたが、大磯の海風に

誘われて遠い昔の偉人の住む海街を散策しました。

んん?まさかの詩人風で今回は書いてみますか?

 

今回 写真を少なくしています。容量不足のためお赦しを。

来月くらいにはアップグレードも予定していますのでいましばらくのお待ちを。

 

 

大磯の梅の香りにさそわれて

藤村の墓所へと

 

あ、梅はもちろんさいてませんが

梅の季節ならきっともっとすてきな

墓所だったことでしょう。

 

島崎藤村の横に並んでもうひとつの墓は

とてもお年の離れた奥様のお墓

 

なんといいますか

いまより昔の方がいろっぽい実話が

多かったのではないかと・・・。

 

まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき・・・・

うーん。素敵ですね。これが書ける人の人生は恋多き方だったことでしょう。

東海道 大磯宿

幾人の人が海を横目に通る街道

東より西よりただ通り過ぎるには

惜しい海の道

 

松が多いのは海側のせいですね。

塩に強い松がたくさん植えてあります。

この街道を通って昔の人々は、江戸へ

もしくは江戸から旅にでたのでしょうか。

 

きっとおいしい海の幸と美しい風景に

癒されたことでしょう。

 

 

お昼は大磯港

30分待ちで・・・並んでました。

 

お刺身定食は売り切れ

生シラス丼も目の前で売り切れ

 

ということ私はイサキの塩焼き定食いただきました。

 

大磯港 めしや

11時開店だそうですよ。

100食あるかないか?なので

お早めに。並びますから。

新鮮でおいしいもの!!!

 

 

旧 吉田茂邸

 

ここは別世界

こんな場所に住む人がいたとしたら

それはもう遥か遠い天上の人だ

 

この場所はほんとにすばらしい邸宅で

吉田茂像のたつ場所からみる海は

ほんとにきれいで。

なんだろう。

急に世の中の格差を思い知る時間になったのですが、戦後、彼が総理大臣だったことは、「人を食って・・・」長生きしたという冗談もとても政治家らしいなと。

 

 

そして、島崎藤村 終焉の静の草屋

 

ひっそりと・・・・

穏やかに・・・・

質素に・・・・

ゆっくりと時が流れる

 

そんな場所でした。わずか2年の暮らしだったそうですが、それぞれが描く最もすてきな場所が、人によってこんなに違うのだなと想いました。

 

 

 

 

 

美しかった大磯

 

散歩の最後は、

いつものようにビールで!!!!

本日は先生のお誕生日ということで

 

みんなでおめでとうを。。。

いつも散歩のルートとおもしろいエピソードをありがとうございます。

 

個人的に大磯は観光として

また訪れたい場所になりました。

今回はいけなかった

澤田美喜記念館や 旧邸や跡地など

まだまだたくさんの昔の日本が感じられる場所がたくさんありそうです。

いつかまた。

 

 

 

 


 

 

 

 

2020年2月20日(木)

墓地ぼち散歩~麻布十番~

 

今日の墓地ぼち散歩は麻布十番駅からの

スタート

まっすぐに目指すは善福寺。

善福寺は、アメリカ公使館後でもあり、タウンゼント・ハリスが下田より

総領事から公使となって善福寺に入ったそうです。

逆さイチョウ

善福寺には樹齢750年以上といわれる逆さイチョウの木があります。

第二次世界大戦で被災していて焦げ跡も痛ましいけれど

どうどうとしたイチョウでした。雄雌をもつこの異種なイチョウは天然記念物と

なっているそうです。

 

ここには、福沢諭吉のお墓があります。

いたって普通のお墓でした。派手で大きなお墓にするなとの意向があったとか・・・

大隈重信 福沢諭吉と、早稲田と慶應それぞれの創立者のお墓は

まわったことになります。

次は小説家、源氏慶太

サラリーマンの悲喜劇を描いた小説は映画やテレビに使われたようです。

私は存じ上げなくて申し訳ないのですが、帰って母に尋ねると

東宝だね。とすぐに答えがかえるほど有名な作家さんだったようですね。

墓碑ではないのですが

越路吹雪と岩谷時子のモニュメントもあります。

善福寺をあとにして、むかったのは賢崇寺

ここは鍋島家の菩提寺ということだが、2.26事件の青年将校たちが葬られている場所としても有名なようです。

もちろんどの墓が誰とか・・・わかりませんでした。

鍋島家の墓所は一か所にかたまっており、中にははいれません。あとで知ったことですが、

ここには川島なお美やかまやつひろしのお墓もあったようです。それはさすがに意識してなかったです。またいずれ。

賢崇寺へ行く途中、きみちゃんのモニュメントに出会う

赤い靴の女の子のモデル きみちゃん

私は彼女の本当の話を今日、知りました。

とても悲しい実話です。

 

きみちゃんは、異人さんと外国に渡る前に麻布の地で亡くなっていたのです。

赤い靴の女の子の像は、静岡 横浜 北海道にもあるそうです。

このあとは鳥居坂を上り、国際文化会館へ。昼食。なんとここも岩崎小彌太邸であったということで、ほんとにどんだけお金持ち・・・・

素敵な庭園がみえるラウンジでお食事を。おほほほ。

ビールももちろんいただきました。

 

きょうの墓地めぐりはここまでなのですが、

せっかくの麻布ということで、

麻布十番通りを歩きました。

外国人だけでなく日本人であってもおしゃれだなとおもう 手ぬぐいやさんをのぞいてきたり

かりんとうや豆やさんでお土産を買ったり

たい焼きも食べましたよ。

 

 

 

駅の出入り口横にある麻布十番稲荷で手をあわせ、麻布を後にしました。

 

コロナウィルスを恐れながらも電車にのり麻布まで行けてよかった。 また本日も新しい発見とか刺激とかもらいました。

 

 

次は、大磯????らしいですよ。ふふふ

 

 

 

 


2020年1月16日(木)

今年初めの墓地ぼち散歩 ~八王子~

そして男性メンバーがひとり増えましたぁ。

先生もこれまで女性4人に翻弄されつつ大変だったと思いますが

男性も増え、心強いですね。

これからよろしくお願いします。

 

今回のメインは松本清張と赤塚不二夫。

しかし、先生がシークレットを用意しています!!というので、楽しみに

バス乗り場へ。

JR八王子駅から14番乗り場からバスに乗り八王子郵便局前で降り、そこからが・・・・

え・・・・坂のぼるんですか?????

富士見霊園に向かいました。

富士見霊園は、浄土宗観池山大善寺の経営する霊園です。

とにかく、坂道を登るんです。

これが結構辛い!!

目指すは山頂・・・・ではなく一番上の墓所。

見晴らしはすごいですよーーー。

墓所なんですが、

見晴らし最高です。

松本清張さんのお墓は霊園の一番上、しかも見晴らしの良い八王子を眺められる場所にありました。私にとっての松本清張は映画化ドラマ化される社会派ミステリー作家。

尋常小学校卒業後に就職し、とても作家になるような若いころの境遇ではなかったようですね。それでも読書家。今も昔も本を読むというのは、身を助けるというか、

やはり知識を得るということは大事なことなのでしょう。

43歳にして作家となりそこからは180度人生が変わっていったことでしょう。

この立派なお墓が物語るようですね。

<シークレットその1>

佐多稲子

小説家佐多イネ 窪川稲子

プロレタリア文学の作家

ということだが、残念ながら私は存じ上げなかった。すみません。

プロレタリアといえば蟹工船の小林多喜二が私の中でイメージで、女性が書く労働者の話とはどんなであろうか。

電子書籍でもでているそうなので、読んでみようかな。

印象的なのはやはり、墓石の前に置かれている本の形の石である。

作家の墓石らしいなぁ。

 

<シークレットその2>

俳優の室田日出男

数多くの映画やドラマに出たバイプレイヤー。

すぐに顔を思い出せなくて

ネットで検索。

そうそうこの人だ!!若いころの顔も

ひげずらの老いてからの顔も見おぼえがある俳優さんだ。64歳で亡くなっていた。まだまだ若かったのになぁ・・・

赤塚不二夫のお墓は八王子にあったのかぁ。

戒名がいいなぁ。「不二院釋漫雄」これ誰の戒名だと思う?という質問があったとしても

すぐにわかりそうだ。

お墓の前では、トキワ荘からタモリの話など。そして前妻が後妻を紹介するという

話まで。奥様方はみな漫画家を支えるすごい妻であったのだなぁ。

先生も、奥さんが次の奥さん紹介していくのいいなぁとか・・・言ってました(笑)

男心ですね。

小さい頃は、私は漫画でなくアニメで

天才バカボン おそ松くん ひみつのあっこちゃん で、楽しませていただきました。

大善寺には機守神社と素敵なお庭もあるので、霊園でなくても行ってみる価値ありです。

そしてこのあと、私たちはとんでもない登りと下りを行くのです・・・・・・。

向かったのは、隣接する小宮公園。

雑木林の中を歩く気持ちよさ!!まではよかったのですが、そこからの階段の登り。

息切れしちゃいました。そして次は下り。登りよりは楽でありますが、これいつまで続く急降下という感じでした。

予定になかったけれど、大義寺に寄りました。とても華やかというか素敵な本堂

ここにも、もしかしたら私たちのまだ知らない有名人の墓所があるかもしれませんね。

 

ユーミンのご実家 呉服店を通り

ランチへ。

 

本日のランチは、洋食こいで亭

1100円のランチメニューにランチビール1杯300円×2杯。ふふふ

私の食べたのはナスのミートグラタン。

ものすごくおいしかったです。ボリューム抜群で、ランチについていたごはんを

平らげることができませんでした。(どうか許してください)

 

八王子。 またぜひ行ってみたい。ぶらぶらと・・・。

 

 

 

 


2019年12月19日(木)

墓地ぼち散歩

今年最後の散歩は、鷹の台からスタート。

女子学生さんがたくさん降りるこの駅は小さな駅ですが、本日の目的地が最も近い駅となります。

津田塾大学。今日の主役は津田梅子さんです。

大学にはいるには門で許可書をいただきます。大学内ですので、どこでもいけるわけではありません。まずは資料館へ。

ここで目にしたのは、津田梅子さんの素晴らしい文字。筆記体の英文も筆でかかれた日本文も。見事です。

わずか六歳で海を渡るなんて、すごいことです。最年少のその姿は他の女性たちに比べてあまりにも子供ではありませんか。

女性が学問を極めるような時代でないなか、学問にそして、教育に力を注いだゆえに今のこの素敵な校舎が学校が建っているのでしょう。

それにしても、梅子さんのお母様も英文でお手紙を書いていらっしゃる。これにはさらに驚きです。

 

二度目の留学からの帰国後はさすがに日本語が苦手?になっていたようですが、同情すべきは、これだけの識者が活躍の場が多くなかった時代。どんな気持ちで教育の場に立っていたのかな・・・・。

気になるのは、伊藤博文の宅で家庭教師をしていたこと、あの無類の女好き?といわれる

伊藤博文さん・・・浮いた噂はあったのだろうか?津田梅子さんは生涯独身であった。

 

書籍も多いのでぜひ人物の歴史も勉強するとよいでしょう。

 

そして、いよいよ。

お墓はなんと、学内にあるのです。

木々に囲まれた

ひっそりと、シンプルな 佇まいで私たちを向かい入れてくれました。

本名は うめさんだったのでしょうか?

墓碑はUME TSUDAとありました。

 

先生が連れてきてくれたこのお墓は

まさに令和の旬というか新五千円札が楽しみになりました。

なかなかはいることを許されない女子大ですので、建物を背にみんなで自撮りしました。

 

次に向かったのが、殿ヶ谷庭園

まさかこんなところにこんな庭園が

と驚きます。先生の狙いもそれ???(笑)

ほんとに国分寺駅からすぐにこんな場所がと、驚きます。150円を支払って中へ。

 

殿ヶ谷戸庭園(武蔵野の山野草と湧き水の庭)

三菱系 岩崎彦彌太の別宅?があった場所で崖を利用して日本庭園をつくってあるせいか

奥行きとか立体感というのでしょうか?

素晴らしい庭園です。なによりこの辺は玉川上水もちかく、野川があり湧き水が出ているので、次郎弁天池に流れる水がきれいで、今は落ち葉で埋め尽くされていました。

少し前の時期ならかなりの美しさだったのでは。

 

紅葉亭という茶室もあり安く借りられるようです。

茶道を嗜む方々には場所として最高なのではないでしょうか。

 

この庭園で、先生が教えてくれたのは針葉樹は谷にむかって根がのび、落葉樹は山側に向かって根がはり、そんな違いがあるせいか、この崖の木々の傾きにまで目が行ってしまいました。

 

曇り時々通り雨でお天気は今一つで写真もそれなりに・・・ですが、

庭園はスライドで観てね。<容量不足のためスライドは削除しました>

 

ビール&スパイシーチキンカレー

毎回すみません。

墓地ぼち散歩の終わりはビールとランチ

 

本日先生が連れて行ってくれたのは、「ほんやら洞」

シンガーソングライターの中山ラビさんのお店だそうです。

なんともいえないレトロな雰囲気。なぜか少し昔の時代の話にも話がはずむ

時代空間!!

これまたカレーがスープのようにあっさりとおもいきや、喉を通るころには

スパイスの辛さ際立つ味に。これは時々食べたくなる味ですね。

チキンも柔らかくておいしかったです。

ビールは・・・・カレーと一緒は私は次はパス。ビールでなくなりました。

はははは・・・

https://kokubunjimonogatari.com/history/honyarado.html

 

2020年も楽しみです。

1年ありがとうございました。

 


吾輩はネコである。名前はまだない。

 

このネコは、仕事で使っているキャラクターですが、名前がついていないので、今日はこのネコを使って

雑司ヶ谷霊園~早稲田~漱石山房記念館までの墓地ぼち散歩を書いてみたいと思います。

 

吾輩が本日スタートしたのは、都電荒川線大塚駅。

吾輩も乗車するのは初めて。

新宿に都電・・・雑司ヶ谷までののどかな

道のりは少し時が戻ったような不思議な感じ

そう、色はセピアか。

そういう時間だったことを伝えておこう。

2019年11月21日(木)墓地ぼち散歩

 

吾輩の降り立った駅は、都電雑司ヶ谷の駅

電車を降りるとすぐに見えるのが、雑司ヶ谷霊園である。

 

本日まわった著名な人物たちの墓写真は、一部のみ

記載としよう。実は・・・天気が良かったせいで

写真が白飛びしているのだ。すまんな。

 

以前、吉原の浄閑寺で詩碑と筆塚を訪れたが

荷風の希望は叶わず浄閑寺には葬られず、永井家の墓に眠ったようだ。

 

吾輩は、この墓に来てあらためて永井家というエリートの家に生まれたことを知る。

が、皮肉なものだ家柄がよいから浄閑寺の遊女たちと一緒に埋葬されることはなかったのだ。

ひときわ大きなこの墓は、あの

東条英機の墓である。

吾輩の知識の中では、戦争を始めた軍人である内閣総理大臣。

一番悪い人ではないか!!

だが、戦争をしなければならなかった当時の理由や世界情勢など、戦争と人間に対する戦争責任についても世界の見方も変わってきているようである。戦犯のご家族というのはその後どのようにすごされてきたのか・・・

吾輩のように平和に生きているネコにはわからない。

さすがに、吾輩も目が覚めるような秋晴れ

紅葉もすすんでいるようだ。

 

吾輩が次々と向かうのは

大川橋三 泉鏡花 小泉八雲

そうそう、銭形平次の演者だ。吾輩も子ネコの時代にテレビで観たものだ。

 

泉鏡花 吾輩は実は作品を読んだことがない。

聞くところによれば、実に独特な世界観と幻想的な小説を書いたとか。吾輩のようなネコについていける世界なのであろうか。

 

小泉八雲

吾輩は知っている。八雲は日本人ではない。が、日本の階段話や伝説に魅了された外国人。だが、日本人になったとても希少な作家である。

なんと、のちに調べてみると、

東京帝国大学に勤め、その後解雇、その後任が夏目漱石であった。

今日は漱石が目的でもあるのだが、こんなところでつながるとは。

 

吾輩が理解に苦しむのはサトウハチロー

その人である。

あのかわいらしい詩と真逆の風貌と、女好き?

何かを世に残す人につきまとう女好きの影。

そんなことを吾輩は墓の前でつぶやくのであった。

吾輩の今日の目的の一つ

竹久夢二の墓

といっても、亡骸はここにないかもと先生が話していた。

碑なのかもしれないが、なんと小さなかわいい墓碑であろうか。

思えば、夢二を知ったのは子ネコのとき。

むか~し むか~しの 少女雑誌?の表紙を飾っていたそのイラスト(絵)に魅了されたのだ。

吾輩が手に入れた夢二集は、

いまはどこぞの古本屋にならんでいるかもしれぬ。

残念なことをしてしまった。

そして、おめあての

夏目漱石の墓である。先生に言われるまで気が付かなかった。

この墓は文豪の椅子である。なんと威厳ある椅子の墓。

漱石といえば、松山というイメージがあるが、漱石は新宿の人である。

新宿に生まれ新宿に眠るである。

作品は何作品読んだろうか。

 吾輩は猫である

 坊っちゃん

 草枕

 それから

 こころ

 明暗

明暗は、未完であった。だが、吾輩、これをいままた読むべきではないのか?

夫婦といえど・・・うっ!!

漱石さんこの話の結末は・・・。

 

このあと、吾輩が訪れた墓は

川口一族 川口家ではない!一族の墓

松太郎、浩、三益愛子、野添ひとみ そうあの探検隊?の川口隊長の墓である。この一族の墓と対照的に

驚いたのが・・・

古河ロッパの墓であった。

そこは誰も草をむしることなく訪れた様子のない

驚くべき状況であったからだ。

吾輩はロッパを知らないが、後でかの森繁久彌より

大きな文字で広告に名があることを知った。

誰か、後見人がいないのか・・・この後、きれいに清掃され花が手向けられることを

祈ろう。

 

言語学者の金田一京介 動物形態模写の江戸屋猫八の墓を巡り、雑司ヶ谷霊園をあとにしたのだ。

吾輩は早稲田の門をくぐる!!

いやいや、行ったのは早稲田大学演劇博物館

そんな場所があったとは、知らなかった。 京マチ子追悼展や坪内逍遥の講演を画像でみてしまった。なんと流暢にはなしているのか。驚いた!!

だが、演劇好きなら行って楽しい場所だろう。イベントもやってるようなので確認して

のぞいてみるのもよいだろう。

吾輩のお楽しみ・・・ランチタイム

本日は、高田牧舎。早稲田大学の目の前のイタリアンレストランである。

老舗洋食屋が現在は窯で焼くピザを提供。

5名でピザとお肉をシェアしながらのむビールにワイン。最高!!

今日もありがとう。

吾輩もうれし

予定外の散策にゃ~!

漱石山房記念館へ

先生に感謝

ここは漱石終焉の地。9年間すごした家の跡地である。

漱石が執筆活動した部屋の再現

あぁ、そこにすわってみたい。

ここの案内人はみな漱石に熱い。

いろんなエピソードが聞ける。

ぜひ足を運んでみるとよい。

吾輩 本日だいじな報告を忘れておった。

ふくしま名物 柏屋薄皮饅頭 柏屋

大塚店にて饅頭を買うところからスタートしたのであった。

 

そうそう。だいたい墓地ぼち散歩は

毎度食べ物からのスタートである。(笑)

 

吾輩の好奇心は毎回あふれてこぼれて

忘れてのくり返しだが、そういう時間が楽しいのだよ。

(終)

 

 

 

 

 

 

 

注意)

墓地ぼち散歩の写真はブログ容量などが少ないため過去のものを消してゆきます。文書だけが残るのでご了承ください。  2019年11月

 

 

 

 

 


2019年10月17日(木) 墓地ぼち散歩~護国寺~

 

墓地ぼち散歩~お久しぶりです!~

今日は久々に墓地ぼち散歩のメインをがっつり書いてみますね。

 

有楽町線護国寺の改札を通り階段を上り・・・

すでに腿に違和感・・・

目の前に講談社のビルが現れました。

仕事柄、雑誌やコミックも扱うので、大きな出版社で歴史ある

出版社であることもその建物の外観から知ることができました。

 

夏の間の運動不足が不安なスタートとなりました。

でも!!散歩のスタートは大福で始まる。

期待も高まり、いざ群林堂(東京三大豆大福の店)

しかし、しかーし!!

なんと、所用のためお休みの張り紙。残念ですが、

護国寺 音羽方面 駅からすぐでしたので、機会があればぜひ。

 

さて、本日のメイン護国寺へ

本日の主役は明治を作った人々のお墓です。(もちろん昭和の方も)

 

発見!銀座コージーコーナーの創業者小川啓三さんのお墓

奥様と並んだ銅像?がリアルで印象的でした。

 

梶原一騎さん(日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー)のお墓

護国寺にお墓がありましたが、

あしたのジョーで力石徹の墓も護国寺にある設定でした。なるほど。

この方も講談社とは深いつながりですね。

碑の前に蛙がいました。なぜかかわいく・・・撮ってみました。

 

そして梶原一騎さんとはとても関係深い

大山倍達さんのお墓。

梶原一騎さんの空手バカ一代のモデル?大山倍達さん率いる極真空手を

世に紹介し広めたということです。

極真空手といえば、横浜流星(俳優)さんが世界大会で優勝したことあるんだよね~

なんてみんなで話しながら現在につながる話題も楽しくしました。

 

さぁ。ここからは政治家のオンパレード

三条実美さん。幕末~明治時代は日本史でも人気がありますが

私はどんなことをした方なのか存じ上げませんでした。

明治政府の副総裁を務めた方だったのですね。ものすごく大きな敷地のお墓でした。

 

鳩山邦夫さんのシンプルですがきれいなお墓。

法務大臣時代に死刑執行を数多くはたした方であることは記憶にある。

その仕事にたいしてなにか意見をして物議をかもした?のも

なんとなく覚えている。67歳で亡くなられたのかとあらためて

まだお若いではないか・・・・と感じた。

 

あ、オンパレードの間に財閥も挟まります。

大倉喜八郎さん。現在の私はこの方の商売ヘのエネルギーを

見習わなければならないでしょうか。

既存の財閥も一目置く大倉財閥?を築いた方ですね。もしかして

日本最初の投資家?かも。

 

内閣総理大臣 山県有朋さん。

お墓は施錠されており、正面から見ることはできなかったが、

奥様の墓と並んだ立っている模様。私のイメージとしては、

日本の軍国主義の元をつくった人?今更ながら思うのは

政治家は軍人であってはならないなという歴史の教訓である

気もする。

 

そして、政治家ではなく建築家 ジョサイアコンドルさん。

恥ずかしながら、この方がかの鹿鳴館やニコライ聖堂、旧古河邸を建設

した方と知らなかった。

明治の建造物は実に洋館が目立つのは、イギリスからはるばる

来日、そして日本に骨をうずめたこの方の功績なのかぁ。

 

護国寺にある講談社の創業者、野間清治さん。

とても敷地の広いお墓で野間家のお墓であることはわかった。

講談社は野間家が代々社長を引き継いでいる由緒ある出版社であることを

本日知りました。

 

野村吉三郎さん 土肥原賢二さん

戦争映画やドラマにはたびたび登場するらしいが、記憶に薄い

ごめんなさい。海軍大将に陸軍大将と。

次に戦争映画を観るきかいがあれば今度こそその名に気が付くと

思う。

 

 

音楽家?団伊玖磨さんのお墓

音楽家ですが、作家でもあったようで先生にぱいぷのけむりを書いた方と

教えていただいたので、どんなものか調べると随筆でした。

が、これは面白そうなので、ちょっと時間をかけて読んでみようかな。

 

山田顕義さん。存じ上げませんでしたが

日本大学の学祖

軍人で政治家が学校を作る時代だったのですね。

 

そしてさいごは、大隈重信さん

こちらは早稲田大学の創設者にして内閣総理大臣。

数多く大臣に任命された方。門をくぐれば、右と左に分かれて墓標が

右はご生母のお墓でありました。